中岡慎太郎

中岡慎太郎は天保9年(1838年)4月13日に土佐の国北川郷(現:高知県安芸郡北川村)で大庄屋をしていた

父・小伝次、母ウシの長男として生まれました。

 

慎太郎には3人の姉「縫」「京」「カツ」がいましたが、男の子は慎太郎だけだったので、将来は父の仕事である

大庄屋を継ぐため、3歳の頃から熱心な教育を受けました。

 

慎太郎20歳の時、父・小伝次が病に倒れ、大庄屋見習いとして村の政治に参加していく事となりました。

 

慎太郎が生きていた時代は南海大震災等の天災が多発していました。

北川郷では飢饉が多発し、慎太郎は自分の土地を売り、薩摩芋500貫を買い集め、村人に配ったり、

高知に出向き、土佐藩家老宅の門前で座り込み夜を明かし、官庫(土佐藩の米蔵)を開かせ、

村人を救うなど、いつも村人のために様々な事を考え、実行していきました。

 

しかし、大庄屋の仕事だけでは村人の生活は改善されない、国を良くしなければ...

 

大道を駆け抜け、大仕事を成し遂げた慎太郎ですが、彼のその原動力の出発点は

故郷「北川郷」の村人を思う気持ちにあったのではないでしょうか。